「眠気の解消」「集中力の持続」「課題の処理速度」を求める人たちの罠【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」1
■伝説の和尚が集中力を高めるためにやったこと
「夜行」という一種の「特例行為」があるそうです。
字が示しているように、夜行は「夜の行い」。徹夜の特訓のようなものです。でも、特訓といいながら、野球少年が一人黙々と公園で素振りをする、なんてストイックなものなんかではありません。
なんとまぁ、夜行とは、夜に道場を抜け出してお酒を飲みに行くことなのだそうです。とんでもなく不届き千万な行為です。もちろん、バレれば破門。
そんな夜行が、破格のバイタリティを持った修行僧たちによって脈々と受け継がれてきたそうなのです。
さて、夜行がバレないためには、翌朝のお勤めが勝負。修行僧たちは、毎朝4時に起床しなければなりません。そして、朝課(お経を詠むこと)や粥座(朝ごはんを作ること)や堂内掃除などのようなお勤めが義務づけられています。
「バレれば、即、破門」だけではありません。道場の不文律として、「問題があったら連帯責任」なんてのがあるそうなんです。「問題」といっても、進んでやった不届きな行為だけではありません。雑な掃除や、手配のミスなども、連帯責任。もちろん、問題の大きさとしては、夜行は他とは比べものになりません。「バレれば、修行仲間全員が破門になるかもしれない」、こんなプレッシャーの中で、この和尚は毎晩、夜行を続けていたそうです。
さて、どれほど人間離れした精神力とバイタリティを持っていたとしても、当然、身体は人間のそれ。疲れは溜まります。ただでさえ、厳しい修行です。毎晩、夜行なんかすれば、眠気の攻撃も、どんどん激烈になっていきますよね。
そこで和尚は、一計を案じました。なんと、カフェイン剤を飲み始めたそうなのです。
カフェイン剤は気持ちを高揚させます。だから、まさかのことに、朝昼のパフォーマンスが、夜行前よりも上がってしまったそうなのです。自ら崖っぷちに追い込んだ責任と後ろめたさもプラスされて、毎朝の集中力がハンパないモノになりました。
ところで、臨済宗の僧堂には、「摂心」という、これまた過酷な修行が定期的にあります。その間、朝から晩まで、老師や仲間たちと不眠不休で坐禅三昧。当然、夜行なんてできるわけありません。カフェイン剤が抜ければ、パフォーマンスは落ちます。一方で、身体への負担が減ります。一般的な修行僧なら、この摂心がとても厳しく辛いものになるそうなのですが、こちらの和尚は、普段の夜行ができなくなってしまったために、あにはからんや、身体の調子が良くなってしまったそうです。
そして、摂心が終われば、夜行の再開。もちろん、カフェイン剤付きです。
結局、バレないまま、無事に修行を終えたそうなのですが、ではいったい、なにがきっかけで夜行をやめたのでしょうか。